FC2ブログ
越南小町のニッポン☆リハビリ中
3年に及ぶベトナム「勝手に駐妻」生活を終えて、日本の生活が再スタートした越南家。働きモノの日本人と驚くべき物価の高さについていけずTroi Oiの日々。ただいま、普通のニッポン人に戻るためリハビリ中。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
帰宅難民@横浜市立大学体育館
地震発生時にいた場所は、京急線「金沢八景」駅のホーム。
横須賀へ取材に行く途中だった。

すぐに、葉山で撮影中の佐助から電話があり、ホッとする。
続くように、今日一緒に仕事をする予定だったカメラマンさんから電話。
「電車が止まっているから、今日はムリそうですね・・・・・・」
急いで、取材先に電話を入れるが、ケイタイではもう繋がらない。
公衆電話でかけたら繋がったので、とりあえず取材中止の連絡ができてよかった。

その後、長谷の義ママに電話。
何回かかけてようやく繋がったが、鎌万はまだ帰って来ていないとのこと。
たぶん、学校から緊急連絡のメールが送られているはずだが、
受信ができないので、事態がわからず……。

しばらく電車の中で待機していたが、
「ホームから出てください」とのアナウンスが入り、外へ出る。
駅前のパン屋はすごく混み合っていたが、そこでパンと水を買っておく。

地震発生から2時間くらいが経過し、
駅のアナウンスで「近くの横浜市立大学へ避難するように」との指示。
駅員さんに連れられ、横浜私立大学の体育館へ。

体育館の中は、私大の学生と一般人が半々くらい。結構な人数だった。
次第に暗くなり、心細くなる。
避難して1時間が過ぎた頃、寝袋と枕が配られた。

R0013669_20110312132751.jpg

寝袋は薄いけど、あるとないのでは大きく違う。
アルミホイルみたいな素材で、中にすっぽり体を入れると、
鮭のホイル焼きになった気分。

隣のカップルは、八景島の帰りに被害にあったとのこと。
記念にホイル焼き状態になった2人の写真を撮ってあげた。

7時頃、カンパンが配られた。
食料は十分あったので心配はなかったが、
カンパンを配られると、いよいよ自分が避難民であることを実感。

佐助には相変わらず電話が繋がらないが、
義ママには繋がり、鎌万無事であることを確認。
佐助が葉山の仕事の後に、学校へ鎌万を引き取りに行ったようだ。
後から聞いた話だと、クラスで最後から2番目の引き取りだったそう。
今日はたまたま佐助が近場で取材だったからよかったけれど、
もし2人とも東京にいたら大変だったな。

ケイタイからの電話は相変わらず繋がらないので、メールを頻繁に送る。
返信がないので、リアルタイムでは届いていないようだったが、
数時間後にどどっとメールが返ってきた。
とりあえず、こちらの状況は伝わっているようだ。

何もすることがないので、とりあえず寝ることにした。
しかーし、ここで困ったのがコンタクト。
今日に限って使い捨てじゃないコンタクトだったので、
外したくても、それを保管するものがなーい。

花粉がたっぷりついたコンタクトはかゆいのなんの。
眠いんだけど、寝ると目に張り付いちゃうしで大変!

9時過ぎ、シーサイドラインが動きだしたとの情報。
しかし、私には関係ナシ。
寝袋1枚では寒くなってきたので、帰る人から寝袋をもらい、
寝袋4枚にくるまる。

夜中、ストーブが運ばれてきた。
寒さ、空腹感は免れたが、腰が痛いし、狭くて寝返りができない。
でも、やっぱり一番のネックはコンタクト!

なんだかんだいいながらも、いつの間にか寝てしまったようだ。
6時に目を覚ますと、京急線が運行開始したとのこと。
JRはまだのようだが、とりあえず新逗子まで出ることにした。

新逗子からはバスが出ていたので、バスで鎌倉へ。
これで家に帰れるぞー!

7時過ぎ、帰宅。
とりあえず、爆睡。
目覚めたら、佐助がごはんを作ってくれた。
あったかいお味噌汁のおいしいこと!

1日ぶりに会う鎌万は、かなりの地震ツウになっていた。
管総理より枝野さんの方はがテキパキしてかっこよかった!と言っていた。
誕生日に稲城の両親からもらった手動ラジオが役に立ったらしい。

R0013672.jpg

ベトナム育ちなので、停電は慣れっこなのよー!


スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。